すっかり日にちが経ってしまいました。
もう少しで、あれからひと月になってしまいます。
祖母の35日法要1 旅行準備編
祖母の35日法要2 出立〜鳥取まで
祖母の35日法要3 馴染んできた母の実家
祖母の35日法要4 内々の気兼ねない法要
さて、記憶も少しずつ薄れてきていますが、途中がけのままでは気持ちが落ち着かないので、そろそろ完結させたいと思っています。
食事会では、お葬式のときと違ったメニューで、とっても美味しく戴きました。
でも、まだ食が細いままだった私は、ちょっとずつ手をつけていました。
その中に、かに寿司があり、ビールを飲んでいた従兄が「俺の分も残しておいて」というものだから、皆が仕方ないわね〜と残すようにしていました。
でも、私たちが帰る際、伯母がタッパーにかに寿司と他にお菜を詰めてくれたのです。
荷物になるから何度も断ったんですよ。
それに、「お兄ちゃんが食べたいって言ってたから、残してあげて!」と重ね重ねお断りしたのですが、従兄も「せっかく遠くから来てるんだから、お土産に持っていきな。地元の人間はいつでも食べられるから…」と言ってくれたのです。
伯母は、詰めれるだけいろいろ詰めて持たせてくれたのでした。
さて、食事会の風景に戻ります。
母が祖母の部屋を片付けていた時に、古い写真が様々に出てきて、中でも祖父の子供時分の写真が出てきたものですから、伯父伯母たちの間では騒然としていました。
こんな写真初めて見た…と。
小学生の時の写真でしょう。集合写真で、顔を見ても分からないのですが、印がしてあって名前が記入されていました。
私は、子供の時に祖父の若かりし頃の集合写真を見たことがあります。
それを話したら、一番上の伯父が、「わしはそんな写真は見たことがない」と何度も繰り返して言うのです。
アルコールが入っているので、何度も何度も尋ねられ、「子供の時のことだから、どこにあるのかは知らないよ。お祖母さんの部屋のどこかにあるんじゃぁない?」と答えていました。
また、私の記憶に残っている印象などを話すと、大阪の伯母が、「お祖父さんは男前だった」と言うのです。
私の印象では、伯父の若い頃に似ていたんですけど…。
もう一人の大阪・港区の伯母が祖父の若い頃の写真を持っているとかで、落ち着いたら写真屋さんで複製してもらおう…という話になりました。
今回の法要には、大阪・港区の伯母は参加していません。
連れ合いの伯父が、末期ガンで入院しているからです。
つい先ごろ、終末患者を診る病院に転院したそうです。
延命治療は本人が厭だと言い、今は苦痛を和らげるようにしているとか…。
来年の初盆まで持つかどうか、複雑な心境です。
そんなこともありましたが、内々の集まりですから、とっても楽しく過ごすことができました。
従姉の旦那さんが(まだ、名前を聞いていないんです…。どうしよう)、せっせとビールの運び係りをしていました。
従兄が顎で使うのです。
従姉の旦那さんは温厚で、まだ馴染んでいなかったので、そうして小まめに動いているほうが気が紛れていいかもしれませんし、また、打ち解けるきっかけにもなったかもしれません。
それでも、従兄のほうが年下なのです。
本人も自覚していて、「俺のほうが年下だけど、妹の旦那だから…」といけしゃあしゃあと言っていました。
大阪の伯母が、「たまには動かんと…」と突っ込みを入れて、時々動くようになったのでした。
でも、場は和やかで、二人の伯父の言い合いや、子供の頃に、「兄貴は身体が弱かったから、お使い事は皆私がやったんだよ」と大阪の伯母が言い、皆で大笑いになったりしていました。
細かいことまでは覚えていませんが、良い思い出になりました。
そうそう、創価学会で使われている「勤行要典」を貰うことができました。
本当は従姉にお願いしようと思っていたのですが、また子供の世話で退席してしまい戻ってこなかったものですから、誰ともなくその場で「学会に入る気はないけれど、初盆で一緒に唱和できるように覚えてみようと思っているんだけど…」と話すと、本家の伯母があれこれお仏壇の辺りを探して、結局伯母自身のものを譲ってくれました。
そんなことを話したものだから、学会メンバーは学会の良さを述べるし、他は、「ただ、南無妙法蓮華経を唱えていればいいんだよ」とも言うしで大変でした。
私は、一つの宗派に決められない事情があるのです。
これは、心の問題・考え方の問題なのですが…。
とにかく、学会に入信する気がないけれども、今後法事の度にこの「勤行要典」を元に唱和するのなら、親戚として共に参加したいという意思だけは伝えました。
だって、本家筋は皆創価学会のメンバーです。
祖母の法事だけでなく、いずれは伯父や伯母を見送らなければなりません。
ですから、覚えられなくても、一冊持っていれば一緒に唱和できますからね。
でも、まだ覚えていません。
何度か読んだのですが、耳から聞いて、共に読んで覚えるのが一番早いんです。
集中力が乏しい、今の私にはちょっと難関です。
それから、思い出しました。
従兄が、私たちが帰り支度をし始めている時に、「あ〜あ〜、はくとだぁ〜!!ってまた行っちゃったりしてね〜」と、酔いに任せて冗談を言うものだから(法要の朝のことを踏まえて)、「駄目だよ〜お兄ちゃん。切符は今日の日付になってるんだから〜。もう一度購入するなんて、そんなお金ないよ〜」と酔っ払いに絡まれていました。
従兄はとっても優しいんですけどね。時々そうやって冗談を言うんです。
私も、2ヶ月弱で3度もお世話になっているので、何年も会っていなかったのに、幼馴染のように接していました。
列車の時刻が近づくと、荷物を纏めていつでも出られるようにしていたら、あれ持って行け、これ持って行けとどんどん荷物が増えていました。
それでも、一応お土産を買うことになり、2番目の伯父の連れ合いである私の大好きなS伯母に、駅に向かう途中のお店に寄ってもらい、鳥取名産のちくわを何本が買って帰りました。
郡家(こうげ)の駅に到着して伯母に見送ってもらい、私の大好きな「スーパーはくと号」に乗り鳥取を後にしたのでした。
日曜の夕方ということもあって、車内は満席で、指定席をとっておいてよかったねという状態でした。
そして、帰りはどういう訳かトイレが近くて、10分〜20分おきにトイレに行っていました。
京都に着くまでに何度行ったかしら・・・?
でも、車でなく電車で!と強行して助かりました。
車では、こうはいきませんからね。
伯母は大阪の駅で降り、私たちは京都まで。
いろいろお話したかったのだけど、伯母も母もよく飲んでいたから眠かったようで、私は一人ぼけ〜っと過ごしていました。
眠りたくても、車内では眠れないんだもの。トイレも近いし…。
そして京都に着いてからは、即行で新幹線のホームへ行き、一番早い「のぞみ」に乗り名古屋で降り、在来線で特別快速に乗り地元の駅に無事到着したのでした。
時間が遅かった為、タクシーで実家まで行き、そのまま泊まることにしたのでした。
貰ってきた荷物を分けたかったのと、遅い時間に送ってもらうのが悪かったからです。
ただ、朝起きてから、姪の相手をすることになり2時間ほどしか眠れなかった私には、ちょっと拷問みたいでした。
だって、「おばちゃん。ゆかちゃんのお家に泊まったの?」とそればかり聞かれるのです。
朝ごはんも用意して、一緒に食べて、それから保育園に出かける仕度を手伝って、母が姪を保育園に送っていくついでに私も送ってもらうことになっていたので、アパートの部屋に戻ったときにはクタクタでした。
その日は通院日だったんですよ。
自分の部屋に戻ったせいか、疲れがどっと出て、眠ってしまいたい心境でした。
でも、なんとか起き続けて、通院の為に外出したのですけどね…。
10月18日〜19日。そして20日と本当に目まぐるしい日々でした。
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